私の乳がん 1.兆候今思えばあれは前触れだったのかもしれません <2002年夏> いままで私は生理もとても軽く、ほとんど生理痛になったことなどありませんでした。 頭が痛くなるとか腰が重くなるとかもなくて、苦痛などこれっぽっちもなかったのです。 それが、2人の娘を出産して断乳して1年ほどしてから生理の前、中、後に、断乳して いる最中のおっぱいがたまってすごく張っているような乳腺の痛みが、右の乳房の 外側だけに頻繁に起こるようになりました。 我慢できないことはないのですが、チクチクズキズキとなんとも不快で、 乳腺炎かもしれないと近所の産婦人科を受診しました。 産婦人科の受付でおっぱいに違和感があることを伝えると、 出産前後の母親おっぱい教室を担当しているという看護婦さんが見てくれました。 右乳房 外側の痛みを訴えると、丁寧に触診をしてくれ、ちょっと首をかしげたり、 険しい表情になりながらカルテのおっぱいの図の右乳房外側ちょっと上に黒い斜線を 書き入れました。 その黒い斜線が意味ありげで、とても不安な気持ちになったことを覚えています。 その後、産婦人科の先生が見てくれました。 さっきの看護婦さんとは打って変わって、先生はとても明るく、軽い感じで、 出産後にホルモンの関係で今まで感じることの無かった傷みが生理前後に でてくるのは、よくあることで、おっぱいの痛みも心配することはないと 言ってくれました。 触診もしてくださったのですが、しこりも見当たらないし、大丈夫ですよ。 ご希望なら念のため血液検査だけしておきましょうか?といわれ、 せっかく来たんだから血は抜いてもらいましたが、先生に大丈夫といわれたことで、 不安は一気に吹き飛び、血液検査の結果も結局聞きに行かずじまいでした。 <2003年夏> おっぱいの検査をしてもらってから、ずっと定期的に痛みはきていましたが、 産婦人科の先生に気にしなくて良いといってもらっていたことで、安心し、 放ってありましたが、疲れがたまると痛みがひどくなるような気がして、 1年後の夏に念のため産婦人科で検診してもらいました。 でも言われたことは前の年と同じで、しこりもないため別段何するわけでもなく、 また安心して帰ってきました。 毎年夏になると痛みがますわ~夏ばての一種かしら?なんて気楽に構えていました。 近所の友人とのお茶会の場で、同じくらいの主婦のかたが、しこりを発見し、 そのしこりはおっぱいの形が変わるほど大きくなっており、 乳腺外科を受診したところ乳がんだった、とのうわさを聞きました。 そのとき、へえ・・おっぱいのことは産婦人科じゃなくて乳腺外科を受診するんだ・・ はじめて知ったわ・・それにしてもお若いのに乳がんだなんて・・・と 思ったのを覚えています。 そのころは、まさか自分が同じ病気にかかるなんて想像だにせずに・・・。 <2004年夏から秋> またまた恒例のおっぱいの痛みがひどくなってきたのですが、 もう3度目ともなると、いつものことさ!また秋になったら痛みも忘れるわ!! と気にもとめませんでした。 でも秋になっても痛みは和らぐことは無く、どんどんひどくなっていったのです。 それとともに疲労もひどくなり、朝起きるのがとてもつらい毎日が続きました。 でももうすぐ教室のハロウィーンパーティだったし、そんなことも言っていられない、 と毎日寝る間も惜しんで準備やら教室のレッスンに追われていました。 でも、ひどいときは胸をおさえてうずくまるほどの痛みで、 友人の前でも痛いと漏らすほどでした。 <2004年11月初旬> ハロウィーンが終わりホッしているのもつかの間、次は12月のクリスマスパーティー の準備があります。でも、体調がすっきりしない日が続き、 新たに楽しいことを考えようとしても、何も浮かんでこず、 日々の家事や教室のレッスンをこなすだけで精一杯でした。 精神的にも結構参っていたと思います。 ある日娘たちとお風呂に入ろうとブラジャーを外したところ、上の娘が、 「ママ、血がついてるよ」と教えてくれました。ブラジャーを良く見ると、 水性の赤ペンの先で、チョン、と突いた程度の血がついていました。 自分だけだったらきっと気がつかなかったと思います。それくらい小さな血でした。 ジャンル別一覧
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